新聞『Dailynews』2月18日号にOrnの特別インタビューが掲載されました。
ウェブのインタビュー記事はこちらです。

この特別インタビューの内容を日本語訳しましたのでご一読いただけましたら幸いです。

 

Orn BNK48 プラス思考の女性、自分の価値を理解。

BNK48メンバーの一人、オーン-パッチャナン・ジヤジラチョートは、中学2年生の時から一人で生活をしてきた。両親が別離し、鬱病を患ったことがあり、自殺を試みたほどだ。しかし今の彼女は新たな人生を得て、芸能界での仕事を華麗に歩んでいる。

BNK48メンバーの女性である彼女は、多面性を持っていて非常に魅力的だ。オーン-パッチャナン・ジヤジラチョートは、中学2年生の時から一人で生活をしてきた。両親が別離し、鬱病を患ったことがあり、自殺を試みたほどだ。しかし今の彼女は新たな人生を得て、芸能界での仕事を華麗に歩んでいる。今日は「ダーオ ターン ムム」(注:「違った角度からのスター」というタイトルのコラム)が彼女の人生における考えと見方を掘り下げて語る。

BNK48になる決心をしたきかっけは?

私の子供の頃の夢は、ライトと色と音が好き、ステージ上に立つのが好きで、アーティストになりたかったんです。子供の時から芸能界にいたくて、母も応援してくれていました。演劇の色々なオーディションに行きましたが、当時は十分に大人になってはいなかったようで、チャンスはまだ十分に巡って来ませんでした。でもオーディションに合格したのでやってみたというものでは、コンテストやMV撮影といった小さな仕事の経験があります。その経験を今の仕事に生かしています。でも自分らしさを出してますよ。私はBNK48はリアルなグループだと思うんです。自分がこんなだったらこのままでいる。状況によってはイメージを守ることもあるかもしれませんが、私も自分のありのままを出しています。私もスイートな感じ、男っぽい感じ、キャピキャピした感じのどれでもできます。本当のキャラはきっと話し好きで明るい子なんだと思います。そしてしっかりした考えを持っている。それはもしかしたらグループ内でほぼ一番年上だからかもしれません。外へのイメージを大事にするため、母親的に年下の子達を叱ります。例えば仕事に出る時、この場では静かにすべきだよとそれを分からない子に言ったり、高い地位の人に会った時にはどう振る舞えばいいのかなどです。

年下の子を叱ったらその子が納得しなかったことはあるか?

叱り方として考えたほうがいいです。と言うのは、年下のメンバー達はかなり様々な家庭から来ていて、多感だからです。私がこんなことをやったらダメだよと叱ったら、泣き出す子もいるかもしれません。だから語りかけ方を考えないといけないんです。最初の頃はそんな状況にまだ合わせられていませんでした。何か不満があったらストレートに言ってましたが、あの子達はショックを受けて落ち込んでいました。でも私も彼女達に謝りましたよ。この子はどういった方向のリアクションを示すかを観察してるので、あの子達の感情を察するのは難しくはありません。はっきりと表しますから。

BNK48であることの難しさは何か?

多くの人といることです。なぜなら私達のグループは人数が多くて、仕事で一つの方向に合わせていくことはとても難しいからですね。ここに来るまでには自分を直さなければなりませんでした。グループ内での競争もありますし。一番難しいことは、自分の考えを改めることです。私はグループ内では常に競争があると考えています。端的に言うと、facebookやインスタの「いいね!」の数にしてもそうですし、握手もそう。それからイベントに出た際に私達を応援して叫ぶ人の数。全くいないメンバーもいます。その、この人は仕事に出て、この人は仕事に出ていないというのは、かなりプレッシャーになります。ここを乗り切れる強い心があるかという、心のコントロールが結構ハードなことで、ストレスになります。みんなそれぞれいじけたり、落ち込んだりしています。グループ内のポジションでも、イベント出演になんで自分は後ろにいることになるのかとか、そんなことでのストレスから逃れられません。私はいつも自分自身を見つめるようにしています。毎晩寝る前に私は、今日はどんなことをしてきたかと座って考えます。誰に良いことをして誰に良くないことをしたかと。自分自身に対してかなりの時間を使います。私は何よりもまず自分の良さを理解しなければなりません。自分の価値をまず見出すんです。そうでなければ誰が自分の価値を見出すでしょうか。

プラス思考の女性?

以前私はマイナス思考の人間で落ち込んでいました。落ち込むと私は精一杯仕事ができません。幸せが感じられない人生です。私は重たい石を受け容れるビニール袋になるのはやめようと。どんどん受け容れるととても落ち込み、ついには袋が破けます。とても傷つくのは他人ではなく私なんです。それで私は自己管理をするのが最善だと思いました。強い人間ですが、弱い点もあります。その点にどう対処するか。泣くという手段を選ぶ人もいるでしょう。自分自身に時間を割く方法を選ぶ人もいるでしょう。私の方法はその両方です。泣くのは弱いということを意味するのではありません。私が何かを吐露したということを意味します。泣き止めば自然と立ち直るんです。

中学2年生時から一人暮らしをしてきたそうだが、父親が海外居住だからか?

そうです。今でもまだ一人でいます。父はたまに来ますが、最近は娘が恋しいのでよく来ています。一人暮らしの最初の頃、父が毎時間電話をしてきたのを覚えています。それに私は一人暮らしがとても幸せでした。あの時は頭の中がお花畑で世の中には恐ろしいことは何もないと考えていました。でも私が恐ろしいことに遭遇しなかったことを神様に感謝したいです。私はただ付き合う人達を選んだだけです。

なぜ当時、母親の元へ戻って一緒にいなかったのか?

当時小学5年生から中学まで父と一緒に何年もいて、母と一緒にいなくてもいいところまで大人になっていたように思います。母との生活も試したことがありました。でも一人暮らしの方が良さそうだと思ったんです。喧嘩したくないですからね。子供の時は母と仲が良かったです。一緒にいた時ですね。でも私はそんなに親しいとは思いません。愛してはいますよ。母もふつうに私の面倒を見てくれますし。でもお互いの考え方が合わないと感じるんです。一緒に生活したら家庭が崩壊すると思います。今でもふつうに話して、食事をして、会っています。教会で会っています。でも一つの家にいて喧嘩をすることを、私が一人暮らしをすることでクリアしたほうがいいんです。私にとって一人暮らしはあまり難しいことではないですよ。でも最初の頃に難しかったのは、朝起きて学校に行くこと。私はとても眠たがり屋なんです。

どうすればグレずに一人暮らしをできるのか?

父が言った言葉一つだけです。お父さんをガッカリさせないで。私はその言葉を守ってきました。それに私には教会での活動がありましたし、ボランティア活動もあってあちこちに行っていたので、道を外れざるを得ないという必要はありませんでした。私は自分の枠内にいれば安心でした。世間との付き合いはありましたが、自分がいたいようにいたほうがいいと思うんです。選択肢があったので。もし選択肢が無ければ私は母と暮らしてましたよ。例えば父が突然コンドミニアムのローンを払わなくなったり、お金を払ってくれなくなったりしたら、母の元に戻らなければなりませんでした。でも両親とも私は一人暮らしができると考えて、母も自分と一緒にいなくてもいいと言っていました。だから一人暮らしを続けたんです。それで私が幸せなら、両親ともにオーケーでした。

母親とよく喧嘩をしたというのは多くはどんなことでか?

本当に取るに足らないことからです。家の掃き掃除、拭き掃除、食事などで、母はかなり頭の古い中国人なので、私がすることなすことを母は時には気に入らないんです。母は携帯電話の中身をよく盗み見して、それって若者ならみんなが両親にされるのを嫌うことです。きっと母は私を心配し過ぎていたんでしょう。それで自分の決めた枠に私をはめようとしていました。その後、小学校から中学までの両親に逆らう権利がなく育てられた期間から、もっと大人になる人生の転機を迎えました。転機とは、私がずっとアメリカン・スタイルで生活することになったことです。自分で考え、自由で、自分で選んだ道が間違っていたら自分がひどい目に遭う。父は送金してくるだけか、会う時でもカフェに一日中座ってしつけを教えられたり、今日は何があったかとか、こういう出来事にはどう対処すべきかといった話をしたりしました。でも母の枠の中で生活するようになると、母は母のやり方でしつけたんです。まるであなたはこうでなければいけないという黒い影に覆われているようでした。あなたはこいう服を着なければいけない、お母さんが用意した服を、と。それで私達はあまりウマが合わないのではないかと感じました。私が母といたのは小学5年生までで、父といることを選んだのも私自身でした。その頃ちょっと喧嘩をしました。確か母の日だったと思います。それで私は父に会いたくなりました。ちょうど祝日でしたので。母は母の日には母と一緒にいるべきだと考えたのでしょう。でも父は久しく娘に会っていなかったので会いたがりました。それで父の元へ行ったんです。当時父はまだタイにいましたよ。この出来事でも二人は喧嘩しましたが、大人の事情の話ですよね。最終的に私は一時期、父といることになりました。

両親が離婚したことで、自分は問題児だと感じたことはあるか?

家族全員揃って一緒にいられない問題が自分にあるのかと考えたことはありますね。一面では問題があるかと考えれば、あります。問題ないと考えるだけで十分です。今ではもうそれほど考えていません。母の日に(友達の)両親は揃って来るのに私には誰も来なくて、そんなのマジで取るに足らない話じゃん、自分を落ち込ませることなら考えるなと思っていた子供の頃とは違います。

鬱病だとも聞いたのだが?

ああ、そうです。それは一人暮らしをしている時で、勉強が大変だった時期です。何もかもがハードでした。私は思うんですが、家庭というものは非常に大切です。それが関係しているかもしれないし、してないかもしれませんが、それで私は自殺をしようと考えたことがあります。鬱病でした。でも今話したことは自分の問題です。全ては自分から生じたことです。

自殺というのは実際に試みたのかどうなのか?

実際にしました。でもどのようにしたのかは言わないことにしましょう。その時はピークに達していて、他の人にはあのようなことはして欲しくないです。私は鬱病の人のことが分かりますよ。選ぶ道がないんですよ。そんな状態になるには2通りあります。脳が正常な状態でない場合と化学物質のバランスが取れていない場合で、それで鬱病になるんです。でも私がその状態になると、私は悲しくなります。私は勉強のことでとても悩んでいました。将来のことは分からないのになんだって生き続けるのかと考えました。両親のことを思いさえすれば生き続けられるというのも、私にはいないことになっています。それが何なのか分かりません。鬱病の人は、選ぶ道がないだけなんです。生きていないのがいいことなんだと考えます。神様が私の人生を変えてくださった時から後、一人でいると自分の命の大切さを考え始めるようになりました。その、両親を愛していないということではないんですよ。両親がいないことは悲しいですが、あまり落ち込むほどではありません。私には神様がいてくださるということのほうが心強いと思います。鬱状態の時に私は自分のことだけしか考えません。

BNK48となった今、両親はなんと言っているか?

母は喜んでいると思いますよ。気持ち的には母は常に枠にはめようと努力してきて、バレエを踊って、ダンスを習って、母がさせてきた全てを常に学んでいました。まるで母が若い頃にできなかったことの代わりのようなもので、だから母はこんなことを娘に代わりにやらせてきたんです。父の方は、私がどんなことと直面しているのか知らせたくないです。どんなきついコメントを目にしているかとか、生活でプライベートのない状態に遭遇していることとか。父は私が nobody でいたほうがいいと考えているようです。それに父は私に父と一緒にビジネスとやらせたがっています。今、父はタイに帰ってきていますが、バンコクにはいません。最終的に父は私に入るか入らないかの決断をするチャンスを与えてくれました。

きつい批判に遭ったことはあるか?

あります。例えばこの前は動画で炎上がありました。VOOVでの私の動画を編集したファンがいて、ちょっと甘えた感じの一部シーンの部分を切り出した上に音声のスピードを少し速めたんです。それなんですよ。(その人の)facebookページもこの部分を切り取って投稿したので、見てむかつく人が出始め、この動画以降、カバーして汚い言葉で罵りなが真似をする人が現れ出しました。何千人もコメントを付け始めて、最終的にそのファンはインスタのDMで謝ってきました。(注:InstagramのDMはBNK48の規則でメンバーは読んでいいことになっています。ただし返答はできません。)友達とシェアしたかっただけで、こんな大事になるとは思わなかったとのことでした。でもそのファンがシェアしたことで、私のイメージは傷付けられたんですよ。罵られて悲しかったんですって。その晩は寝付けませんでした。そして翌日には仕事があります。一晩考えたんですが、罵るコメントを楽しんでいる人のfacebookに飛んでみて、その人の人生はどんな画像にいいね!を押してどんなボヤキをしているのかを訪れて見てみたところ、その人がいいね!を押しているものだけで、その人がどんな考えを持っているかが窺い知れたんです。その人は絶えず負の返信をしていましたし、コメントも人生のあらゆることにボヤいていました。その時考え至ったのは、私はこの人を憐れんで放っておくべきだということでした。

振舞いも勉強も良いお手本にならなければならないのか?

今はファッション・デザインを学んでいます。Chanapatana International Design Instituteでの勉強はドロップしましたよ。でも頑張らないということではありません。と言うのは、この分野に全力で取り組んで将来がどうなるのかを見たいんです。今年半ばには復学しますよ。あと半年しか残っていないので。ドロップしたのは勉強しながら仕事もするのはとても難しいからです。私はそれができる何人もを尊敬しています。でも復学するかは来学期の時間割をもう一度確認しないといけません。復学できれば卒業できるのでいいですね。でも私はまだあまり早く卒業したくないんです。と言うのは、グループにいる期間が長くて、もし私の卒業の時期に学校の卒業が近ければ、そのほうがいいので。でも今グループにいると外に出て自分のブランドを立ち上げるのは難しいです。卒業と同時に次の頂へと繋げられるなら、それがいいと思います。でも私もまだ混乱しています。たぶん今年半ば近くになったらもう一度考えなければならないと思います。時がきっと一番大切ですから。それに両親も早く卒業しなさいと強制はしませんしね。父は、自分が好きなことをしなさい、自活できれば十分だと言っています。今私は、個人的なコレクションを持っていて、タイの布地を応用してもっと現代的なコレクションを出したいんです。人助けにもなりますし。それかオーガニックの化粧品を作るのも人々の手助けになっていいかもしれません。タイのモノを世界レベルにしたいんです。BNK48でいることは、誰にでも届く大きなメガホンのようなものです。この点を私ができればいいです。

ファンのみなさんに伝えたいことはあるか?

オーンに興味を持って愛してくださってありがとうございます。みなさんは私がどんなか知っても変わらずに愛してくれています。こんな私達の関係を末永く続けていきましょうね。

 

彼女の人生は、多くの人にとって考えさせられる点が多々あるものだった。たとえある時点で少しばかりダークだったとしても、実際の人生では必ず乗り越えなければならない。いずれにせよ、ファンのみなさんはオーン・ウン(注:ウンはオーンのトレードマークとなっているアザラシの鳴き声で、オーンのもう一つのニックネームになっている)を応援してあげてほしい。