フリーマガジン『THE STANDARD』のウェブサイトに2月8日付けで
BNK48のOrnのインタビューが掲載されています。

このインタビューでは、Ornの今まで知られなかった
想像を絶する苦労の人生が語られています。
全文を日本語訳しましたのでぜひご一読ください。

 

 

 

Orn BNK48、活発な子供、女医、アイドル、鬱、自殺、そして神が与えた第2の人生

「うわあ、私の人生ってダークですよね」

パッチャナン・ジラジラチョート、またの名Orn BNK48の口からこんな言葉が出てくるとは全く信じがたかった。Ornは明るいエネルギーに満ちた外見のイメージがあるアイドルで、MCスキルに長け話し上手の女性であり、いつも微笑みと笑い声をみんなに与えているからだ。

しかし彼女と向き合って話したところ、今までと同じように筆者に見せてくれた明るさのほかに、彼女が何年も一人でいなければならなかったという気持ちの面でとても脆い一面も持っていた。それは笑顔が涙の滴に変わるほどで、もうこの世にいたくないというところまで彼女を追いつめたものだった。

幸運にも慈悲に満ちた神は愛とチャンスをもう一度与えてくれた。そして彼女は価値を与えられた新たな人生を、明るいアイドルとして愛情を人に与えるために自分自身を全て進歩させることで送り、それはファン全員の幸運へと変化している。あの日の不幸な出来事はファンらに可愛い「オーン・ウン」(注:オーンはOrn、ウンはOrnのトレードマークのアザラシの鳴き声)を帰って来させる推進力へと変わったのだ。

あれよあれよと言う間に成功を遂げたと多くの人が見ているアイドルとしての人生だが、Ornの人生運が今日のように短期間で華麗に上向く以前は、簡単に得られるものが何一つなかったということをこのインタビューを通じて読者が知ることになることを信じていただきたい。

 

自分が話し好きで表現するのが好きだと感じたのはいつか。というのも見た限りではメディアに登場する際、Ornは自然なMCスキルが非常に高いことが見て取れるからなのだが。

私は幼稚園の頃からステージ好きな子でした。母がいつもステージに上げようとしていたからです。言うなれば、どのイベントにも必ず我が子がいなければ気が済まない(笑)。当時はまだ演技について何も考えていませんでした。アイコンタクトというのも知りませんでしたし。でも当時から踊るのが好きで表現するのが好きなことは気付いていました。そして小学校までずっとイベント好きな子でした。

先生がこの子はダンスができて舞踊もできると知ると全てのイベントに私がいるようになりました。それは小学2年生の時、両親が別居した初めての人生の転換点まで続きました。後で知ったのですが、両親は私が生後3か月の時に離婚していたのです。でも娘に問題が起きてはならないということからまだ一緒に生活をしていました。でも小学2年生になると母と一緒に引っ越さなくてはならなくなり、父は一緒に来ませんでした。それでも私はその時、全てをかなり理解していましたよ。ひどく感情的になったりはしませんでした。もし両親が一緒にいて口喧嘩をするなら別れて暮らしたほうがいいと思ったんです。私は両親が口喧嘩をしているのを本当に毎日見ていましたから。それにこの手の決断は大人同士の話であって、私はその時の自分の責任を最大限果たすだけで十分でした。

その時の両親の別離は、Ornの人生をどう変えたのか。

とても沢山変わりました。というのは母といる時は、母が何でもしてくれました。でも再婚した父と住むようになると、継母と一緒にいなければならなくなりました。彼女はとても良かったですよ。意地悪な継母というのではなく、私に家事を初めて真剣に学ばせたんです。自分のことは自分でできるようにさせたいからで、掃き掃除、拭き掃除などの正しいやり方と様々な料理をとても細かく全て教わりました。小学5年生でとても成長したように感じました。それまではマッチで火をつけることすらできませんでしたから。

それ以降、勉強への興味が増し始めました(笑)。父は成績に厳しい人ではありませんよ。父は私が勉強しているだけで満足でした。でも私は自分自身を踏み越えて這い上がろうと思いました。それで小学生にしては低すぎる2.98という成績から頑張って、3.65になりました。中学1年生になってもその調子で続けて高校まで続けました。

女児(注:タイで使用される14歳までの女の子の名の前に付ける呼称)Ornの夢は当時何だったのか。

夢は一つで、アイドルになることでした(笑)。当時は韓国の芸能人がブームで、Super Juniorのキモムのファンでした。あんなふうになりたいと思い、まずSM Entertainmentのオーディションに行きましたが不合格でした。結局ある事務所に合格して韓国へ見習いアーティストとして行ける寸前までいきました。でも父がどうしてなのか分かりませんが、いつも父は何でも自由にやらせてくれて、アメリカン・スタイルの育児なのですが、この時は行くなら自分も行くと父が言い出したのです。それにあと何か言ったのですが覚えていません。それで行かないほうが良さそうだと思い、その時のチャンスを逃してしまいました。

子供は医者になりたい、エンジニアになりたい、先生になりたいとかという夢を持つものだが、以前そういった夢はあったか。

ありました。でも私の場合は逆です。というのはアイドルになりたいというのが先で、それから医者になりたいと思ったんです(笑)。私は子供の時からボランティアでキャンプ生活をしながら不便な地域の人を助けることをしていたんです。だからなおさら心にくるものがあって、質の高い医療の手が届かない辺境な地域の人の面倒を見る医者になりたいと思いました。でも高校に進学した時、私は文系でフランス語を選択していました。夢を見つけると、すぐに理系への変更を手続きしました。でも1年近く勉強してみて無理だと感じたんです。と言うのはずっと文系で勉強してきて基礎が理系の友達に追い付かなかったからです。それで再び決断をして退学し、高卒認定試験を受験したんです。

友達は戸惑っていました。先生もみな戸惑いました。会って間もないのに突然もう辞めるの?って(笑)。父が海外に行っていたため、母に退学の署名を貰わないといけませんでした。でも母は署名をしてくれません。それで父に電話をしてもうイヤになった、私は人助けに行きたいの(笑)と言って泣きました。今こう話すと可笑しいですよね。でもその時は心底泣きました。私は考え抜いた上で実行するタイプの人です。最終的に父が母と話してくれて署名を貰えました。それから高卒認定試験のために予備校に2-3か月通って、某私立大学の直接入試を受け合格しました。でも入学しませんでした。ワケがわかりませんか?(笑)

突然、医者になるのはオーケーじゃないのではという感情が湧き上がってきたんです。きっかけは医学部で学ぶ先輩が読ませてくれた本でした。医者は考えているような華麗でゴージャスな職業ではないという話で、長い年月と大変な苦労を経なければならないという内容でした。その頃私は30歳までに結婚したい女の子でした(笑)。もし医学の道へ進んだら6年かかって、専門分野の勉強がさらにあります。30歳になってから恋人を探すのかって思いました。正直に言うと当時は売れ残ることのほうが不安だったんです。それで医者になるという夢は本当の夢ではないはずだと考えました(笑)。でも国家国民を助けたい、人助けをしたいという気持ちはまだ持っていますよ。

アイドルを夢見て、医者になりたかったのに、なぜ最終的にファッションデザインを学ぶ選択をしたのか(Chanapatana International Design Institute)。

漂流人生に突入して、これからどの道に行けばいいか分かりませんでした。私はクリスチャンで、(教会には)心の面で相談に乗る世話人がいるんです。試しに自分が好きで子供の時から良くできることを全てリストアップしてみなさいと言われました。その一つがファッションとメイクアップで結構できていると思いました。それに私はファッション雑誌を読むのが好きでしたし。Ray Idol Searchのオーディションに応募したことがあって、最終の15人選考で落ちたんですが、それが徐々に心に染み込んできて、私はこの分野が好きなんだと。それでファッション分野の勉強をする決心をしたんです。

大学入学前の頃は色々な夢があるものだ。その頃Ornの考えの中にはアイドルになりたいという夢はまだあったのか。

ありました。でも心の中に保留案件として深くに隠してあったような感じだったと思います。私は何かを夢見てそれを実行した結果成功しなかったら、心の中に残しておく性格なんです。

医者になりたいという夢はまだ残してあるか。

もう残していません。あの本を読んで結婚ができないと思って以来、もう(笑)。でもアイドルになりたいという夢は、捨てたというのとはちょっと違いましたね。ただそれとの接点を手に入れる機会がなかっただけです。中学生の時には友達とカバーダンスのグループに入っていました。真剣でしたよ。でもステージに立ってショーをすることは一度もありませんでした。

当時もう一つの重要な転換点が訪れていました。というのは中学生の時に一人暮らしをしなければならなくなったんです。父が継母と離婚して、父について外国に行かなければならなくなりました。私は行きたくなかったんです。父は私が自活できると判断して、コンドミニアムを借りて一人住まいをさせたんです。中学2年生の時からです。

最初はとーってもハッピーでしたよ(強調した口調で)。でもしばらくして、もうイヤだ、一人でいたくないと思いました。両親が学校へ送りに来る友達を見ても、私は一人で通学しなければなりません。学校の行事や保護者会も誰も来ません。とても淋しいものです。よく一人で泣いていました。それがひどくなって私は一時期、鬱状態になりました。とうとう高校生の時に自殺を試みてしまいました。でも神様がとりあえず助けておいてくれたんでしょう。私に命をもう一度返してくださいました。うわあ、私の人生ってダークですよね。私がこの話を明かすのは『THE STANDARD』が初めてですよ。

その後Ornの人生に何か変化は生じたか。神が授け返してくれた命について一層考えるようになったか?

始めは考えないようにしていたんです。話すと泣きそう…(しばし沈黙)。私は以前より考えるようになりました。私より悲惨な他の人のことを考えて、命を授けてくださったのに私はそれを捨てようとしたそんな神様のことを考えて(泣き出す)。驚きますよね。多くの人は外面が明るく見えるそんな人がどうしてこんななのかって思いますよね。

それでもOrnはいつも元気で明るい人だと見せてきた。

鬱の人の多くはみんなこんな感じなんです。それは孤独、プレッシャー、悲しみといった様々なことから生じます。でも私はそうなんだと誰にも知られたくなかったから、頑張って隠してきました。私は教会のクリニックにいる精神科医といつも話してきて、それで今では克服しました。

当時何が一番Ornにプレッシャーを与え、悲しくさせたのか。

とても色々なことです。でも多くはプレッシャー関係で、私が一人暮らしを始めて以来、ずっと蔑まれてきました。見てるといい、そのうちあの子は結婚前に子供をはらむから、とか。傷つきましたよ。だから自ら証明するために、一人暮らしでも私はグレないし、学業をしっかり修めると誓いました。今は仕事のためにドロップしていますが(笑)。私は仕事にベストを尽くします。今では親戚も認めてくれて、動画や歌をシェアして、私の孫なのよと言ったりしています。

中学2年生から一人暮らしをしている間にグレる可能性は高かったと思う。周囲の人が蔑んだような人間に自分をさせずにつなぎ止めていたものは何だと思うか。

第1はクリスチャンの仲間の中にいたから、第2は夜遊びが嫌いだからということです。夜遊び好きの人が悪いと言うのではないんです。でも私はアルコール・アレルギーで、タバコも嫌い。お陰で多くの危険を避けられました。そういう人も間違ってはいないですよ。でもこういう風な生き方の方が私は思い描いている地図により近付けるんです。私は家で読書をしたり、美術館に行ったりするのが好きで、何もすることが無ければ宿題をして、家で寝て、おかずを作ります。それで幸せなんですよ。ネコとヨシという猫(2匹)と一緒に住んでいて、私はそれでハッピーです。週1回は教会に行きます。それもやっぱり幸せですよ。今では父もここまでになった私を誇りに思ってくれています。

一時期の鬱状態を克服できた重要な要因は何だったと思うか。

神様です。それ以前の私はみんなと問題を起こして喧嘩をしていました。誰も愛してくれないと感じて、この世界で私は無価値なんじゃないかと思って、それで決心してそんなことをしていました。私が乗り越えて戻ってこられた日、心の世話役の人が神様のお言葉を語ってくれました。曰く「我は汝を永遠の愛で愛する。誰が汝を捨てようとも我は汝を愛する。」それで、神様は私にもう一度命を授けてくれたんだったと思い出しました。私は今までのようにしていてはいけない。私は二度と捨ててはいけない。そして今後私は愛を与え、私と同じ立場にいる人に明るい灯を与える人になるべきだと。

今業界に入って、私の心の面の世話役に元TKのBowさん(スラッタナーウィー・パッタラーヌグン)(注:2005年前後に若い女性の間で大人気だったアイドル・デュオTRIUMPHS KINGDOMの一人。キャミソールやチューブトップを初めて流行らせたファッションリーダーでもあった)がなってくれました。と言うのもこの業界ではアーティストが背負っていかなければならない様々なストレスやプレッシャーがあるので、業界内のクリスチャンで密に相談に乗ってくれる人が必要だと思ったからです。身の処し方はどうすればよいか、距離感はどんな感じか、常に起こる様々な事態にどう対処したらよいかなどです。

実際に芸能界に身を置いて、自身の鬱状態が起こるきっかけはどれぐらい多いか。

本当のところ、グループに入ったそのことが私の鬱状態を再発させたんです(笑)。でも今では私はそれに打ち勝つことができていると思います。この手の話は私の心次第ですから。

鬱状態になるきっかけにはどのようなことがあるか。

普通の人と同様に心に影響を与える全てで、アーティストだからというのではありません。でもここに立っていることで私は何とも言い表せない批判や蔑む言葉の近くに置かれています。突然知らない人が指を差して罵ってきたり。正直に言うと最初の頃私はやさぐれました。なんであの人に私が叱られなければならないのかって。落ち込んでステージでショーをしている時でさえ幸せに感じなかったほどです。誰が私についてどんな話をしているかを常に考えてフィードバックしなければなりませんから。自分自身ととても戦わなければならない時期でした。でもそのうち、放っておこうと努めて考えるようになりました。批判の言葉が本当なのかだけを聞こう。それで本当だったら直す。本当じゃなかったら放っておくだけです。

活動とグループ内の競争は、どれぐらいストレスの元となるか。

最初はとても荒んでいました。なんで私が追い越されるの。なんで私は後列にいるの。前にいる誰々よりも人気が高いのにと。私は自分が公平公正な人だと思ってますよ(笑)。自分だけではなくて後列にいる他の人も含めてです。何から選んでいるんだろうとまで考えました。と言うのも、比較したら私の方が人気が高いんですよ。でもしばらくしてふと思いついたのは、みんなはお互いに盛り上げ合うためにいるのであって、後列が無ければ前列や列全体がパーフェクトにならないということでした。

今までOrnはまだBNK48の曲のセンターになっていないが、このことについて不公平だと感じたりするか。

そこまでではないです。センターになることには様々な要素があるからです。とくにその歌に相応しいかどうか。正直なところ、グループに入って以来私は絶対にセンターになるとまでは考えたことがないんですよ。でももしなれたらいいですね。それほど野心は抱いていません。私は自分の責任についてベストを尽くすよう頑張っていますから。そしてセンターになれたら、それは私の頑張りへのご褒美なので、いいことです。例えばファンとの握手会の際、私はファンの期待に沿えなくて申し訳なく思います。でもファンは、こんな感じでこれからも自分らしくいてさえくれれば満足ですって言うんです。それに握手の時に私の列が空いているのを見て私が誰にも負けないように頑張って握手の列に並んでくれる人もいました。それって心にとても響きました。それである感情が湧き起こりました。ああ、できることなら私も彼の望みを叶えてあげたい、ただそれだけだと。

グループ内の友達のこと、センターになれなかったこと、自分よりも他のメンバーの列の方が長かったことから生じる様々な感情には、頭では理解できても嫉妬が入り混じったりするものなのか。

嫉妬まではいきません。でもあの子は遠くへ行ってしまったのに私がここにいるだけなんてありえないという気持ちです。でも同時に後ろを見ればまだ私よりチャンスが少ない子が何人もいます。私は彼女達の気持ちを分かってますよ。話していてその子が私はこの状態にオーケーじゃないと言うと、私はその子を慰めます。それは同時に自分自身への慰めでもあるんです。

私達は嫉妬を推進力に変えないといけません。私は嫉妬してもいいと思います。嫉妬は野心のかけらだからです。でもこの件についてどうバランスを取るのかは心配なことです。これは大事なことで、私はグループには問題が生じた際にアドバイスをくれる心理学専門家が必要だと考えるほどです。

BNK48が名前の後に付くようになってから最高の時はどんな時だったか。

私は握手会の時が好きですよ。ファンに会えて、その人が何を考えているのかが分かって、私をどれほど心配に思っていてくれる人がいるのかが分かります。以前私は誰からも愛されていないと思っていたのに、今ではお腹いっぱいなほどの愛を貰えています。ファンは私に沢山の愛を授けてくれています。毎回荒むきっかけとなった話を私から全部吹き飛ばしてくれます。だから私は握手会をとても大事に思っています。実に価値ある8秒間ですね。時間を引き延ばせるなら私はできる限りファンに時間を引き延ばしてあげます。あと2秒増やすことができるだけでもいいです。

世界中の誰とでもいいから握手会で8秒間の時間を得られたら、誰と握手をしたいか。またその人に何と言いたいか。

自分自身と握手をするということにしましょうか。私は自分にばかりフォーカスしているということではないです。逆にむしろ自分のことを考えない時があるぐらいです。自分がどう感じているのかほとんど分からないこともあります。時には他人のケアばかりし過ぎて自分のケアをしないことも。だから自分自身と握手をして自分を応援したいです。これからもこんな感じでやっていくのがいいと思うよ。自分に自信を持って。自分の責任を果たし続ければ十分だって。

現時点でOrnの最高の夢は、30歳前に必ず結婚することか。

グループに入ってから、もう無理だと思っています。契約満了してから、付き合って心を確かめてからだと間に合わないと思います(笑)。でも残しておきましょうね。気にしないわけではありません。

愛する人を持つべきではないというような規則のあるアイドルになることと最高の夢を甘んじて交換するほどの価値とは何か。

私はせっかく生まれてきたからには、やりたいことがあったらやるべきだと考えています。夢を持ったら必ず実現できるようにする。そして私がそれを本当に好きかどうかを伝えるためにベストを尽くす。この点については、私がもっとすべき責任がまだ色々と沢山あります。

神から愛を授かった立場としてのOrnの責任が、他人にさらに愛を送ることだとしたら、Ornは今その責任をどれだけ果たせていると思うか。

ファンに愛を与えるという面では、私は全力でしていますよ。でもファンではない他の人へは、私の愛はまだ十分に届いていないと思います。たった5%じゃないですかね。でもこれからもっと頑張ります。私のようにキリスト教を信仰する必要はないけど、少なくとも愛情という面では私は相手にいっぱいに注ぐ一部分になりたいです。その人が私を好きかどうかを問わずです。

 

<原文 https://thestandard.co/orn-bnk48/