7月上旬に発売が予定されているBNK48デビュー2周年記念ブック『BNK48 : 2nd Anniversary Book』の特設サイトが開設されたことは先日お伝えしましたが、その特設サイトに掲載されたミュージックのインタビュー部分を日本語訳してご紹介いたします。

 

 

ミュージック - プレーワー・スタムポン

Aitakatta…「アイドル文化」がタイ人と出会った最初の扉

思い起すのにさほど時間はかからない。覚えていることだろう。BNK48がアイドル文化のタイ人への紹介とともに初シングルを日本語の曲名-英語綴りで「Aitakatta」で、タイ語訳「ヤーク ジャ ダイ ポップ トゥー」も付けて披露したのを。

 

 

タイの楽曲には耳慣れないスタイルに加えて馴染みのないスタイルのアイドルポップスのリズムは、今まで知らなかった人々にこの音波の出どころを知りたく思わせたかもしれない。

センターとして最初の曲を初めて人々に聴かせる名誉に預かったメンバーは、「ミュージック - プレーワー・スタムポン」。日本でナンバー1のアイドル 48グループのファンで、いつか自分は自分の好きなことに参加して先輩アイドルのいる場所に立ちたいと夢見たことがあった。

もちろん最初の曲には大きな期待がかかり、初のセンターが役割を背負わなければならなかった。

なぜなら披露して広く関心を集めれば、それはすなわち最初の扉を開いたら明るい光に出会ったことを意味するからだ。しかしもし正反対だったらそれは新生グループにとって憂慮すべき状況だ。ミュージックの視点で当時の出来事にはどんな興味深いことがあったのか。彼女は当時起きたどんなことを覚えているのだろうか?

もしミュージックが語らないなら、誰が語れるというのか。

 

 

結果を既に知っていたスタート

「当時、きっと有名にならないという自信が私にはかなりあった。というのはスタートでもあったから。」

ミュージックは、シングル『会いたかった』が人々に披露された当初の日々の回想に私達を連れ出すとともに、BNK48の歴史上初の曲のセンターとしての感想を笑顔で語った。

「私達は全く何もないところから始まった。私達のファンもほとんどいない。オーディションに来る人だけでさえとても少ない(笑)。だから初のシングルはただのスタート地点で現時点ではまだきっと有名にならないと思っていた。タイは文化や曲のスタイルが日本と同じではない。さらに『会いたかった』はとても古くてその当時の日本人が好きだった曲。私達がそれを持ってくると、懐メロを引っ張り出してくるようなものだった。」

いずれにしてもセンターに選ばれた日、ミュージックは誇らしく感じたと語った。なぜならこの曲はAKB48の誇りとなっている曲だからだ。『会いたかった』は妹グループのスタート時によく使われるためだ。だから彼女はこの曲はスタートとしてとてもいいと思った。しかし結果はあまり有名にならないかもしれないということは理解していた。

「この曲は名誉な曲だと言える。BNK48の良いスタートだと言える。でもまだ覚えてもらえなかった。」

ミュージックは当時彼女が抱いていた感想をはっきりと総括した。

 

 

初のセンターの自分探し

ミュージックには自分のアイドルがいる。AKB48の元キャプテン「高橋みなみ」とSKE48の「高柳明音」だ。しかし実際にセンターになると彼女はもっとも自分らしい点を探す努力をしなければならなかった。したがってそれは彼女がすぐに解決するには困難な課題だった。

「みんなは自分らしいセンターになるようにと言った。私がここに立つことになったのは自分だから。だから自分でベストを尽くしたかった。私らしくベストを尽くした。だってこの曲は私がとても誇らしく思う曲だから。それで誰にもそれってどれかと似ているのではないかと比較させないほど完璧に私の曲にしたかった。」

「私は本当の自分の性格を明かしたかった。彼ら(ファン)にずっと一緒にいて欲しかった。私を忌み嫌って、私を好きな人がきっといるに違いないことを知っている。でもこれが本当の私。ファンも私を諭したりする。でもそのために私は弱いところを彼らに絶対に見せること禁止だと思った。」

「先輩を見ても彼女達が泣くところをあまり見ない。だから私は必ず強くなると言った。でも自分を変えようとは思わないよ。ある日私が言いたいことがあれば今までどおり言う。ただ彼らに自分の弱い面をあまり見せたくないだけ。」

ミュージックは、彼女を今のミュージックに鍛え上げた2年間の自分にかすかに微笑んだ。

—————————————-

「ミュージック」と他のメンバーのさらなるインタビューは、近日発売の書籍『BNK48 : 2nd Anniversary』でお読みいただける。